空気なんて読まなくていい、自分の時間と考え方を大切に

休職部自由科

こんにちは だいた(@kyuushokubu)です

今回は場の空気に関して記事にします

結論から言いますと、空気は読まない方が人生幸せです

仕事や学校などで、俗に言う「空気を読む」行動なんですが、私は普段めちゃくちゃ空気を読むタイプでした

自分に自信が無いので、みんなに気に入ってもらおうと考えて、こうしたら喜んでくれるのかなとか考えて行動していましたが

あまり喜ばれることはなく、苦労の方が多かったように感じます

寧ろ疲れる事の方が多かったように感じますし、人間関係がめんどくさくなった原因の一つのように感じています

今回は、空気に関して記事にしていきたいと思います

最後までお付き合い頂けたら幸いです

空気なんて読まなくていい、自分が感じた考えを大切にする

空気なんて読まなくていい、自分が感じた考えを大切にする

今回紹介したい内容は以下の通りです

  • 40年以上気遣いして生きてきた感想
  • 空気を読む事は自分を犠牲にする
  • 自分らしく普通に生きる方が幸せ
  • 大切なものに時間と気持ちを注ぐ

順を追って説明してい参ります

40年以上気遣いして生きてきた感想

私はとにかく気遣いをして生きてきたように感じています

始まったのは物心がついた時からです

大人が怖くて仕方なかったです

両親からは褒められて育つよりも、怒られて育てられてきました

勉強も出来ませんでしたし、自己肯定感も低く育ち、いつも怒られていると別のところで補填しないといけないと行動していたように感じます

それでも両親が求めていないことをしているので、褒められたりすることはあまりありませんでした

学校でも教師は怖い存在でした

宿題を忘れる、やり方の方法を間違ってくると、頭を殴られたりしていました

今では考えられないかもしれませんが、竹刀を持って授業をする先生も当時はまだいましたし

暴力で生徒を抑え込むことは日常茶飯事でした

恐怖の中で少しでも気に入ってもらえるように、良い子でいようと努力して疲れていたように感じます

それでも相手から求められたことではないので、気に入ってもらえることは無かったと思います

その影響からか、高校は人間関係にすでに疲弊していていました

大学に入ると、大人になり、酒やたばこや車など、みんなが欲しいものが手に入ることで自分に自信が持てて

アルバイトをしてお金も自由に使えるようになり、自分に自信が持てるようになったのか

比較的、自分中心に生きる事が出来ていたように感じます

しかし社会人になったら、いままでの生き方が、空気を読む生き方をしてきていますから

恐怖体験をすることで、防衛本能として成功していないけど、無難な生き方である「空気を読む」生き方をしてまた疲れます

他人に求められていないことを一生懸命やって、喜ばれない、感謝されないことををやっていて

それがずっと積み重なると、なんで相手は何も反応してくれないのか?私は嫌われているのか?と疑心暗鬼になっていきます

そしてもっと一生懸命他人の喜ぶことを勝手にやっていき、勝手に疲れていき、人間関係は辛いものになっていったように感じています

それをもう必要ないのではないかと感じたのはつい最近…

空気を読んで生きる事は、自分にとっての防衛本能と信じて、もしくはとっさに出る行動になっていました

でもそんなものはあまり必要のないものだと最近感じてきました

自分の人生だし、自分の時間なのに、ずっと他人の時間で生きて、他人のために自己犠牲をして生きる時間が勿体ないと感じています

それを今気づけただけでも良かったなと感じます

空気を読む事は自分を犠牲にする

空気を読む事は自分を犠牲にする

空気を読むことは、相手の時間軸や相手の気持ちの中で生きる事を意味します

相手のために生きるので、自己犠牲です

自分の気持ちや考え方、自分の時間を相手に費やすことになります

もちろん相手が困っている、助けてほしいと思っていたら助けるべきだと思いますが

相手の気持ちを先読みしてまで無理に毎日を生きる事は、私はおすすめしません

私のような人間関係に疲れてしまう、自分の時間や考え方を犠牲ににしてしまう生き方は、不健康そのものと感じたからです

空気を読みすぎず、自己犠牲をし過ぎず、自分の気持ちを大切に生きてほしいと考えています

自分らしく普通に生きる方が幸せ

自分らしく普通に生きる方が幸せ

最近の私は、自己犠牲を徐々に辞めていき、嫌なことは断るように生きています

今までであれば、こうしたらあの人が喜んでくれるかなと考える事を実行しとにかく動いて疲れていましたが

思いついても行動しないようにしました

そうすると以外に、他人は勝手に自分で動くし、してくれなかった事で文句を言ってくることもない事に気づきました

無理せず楽できる事に最近気づきました

お願いされたらやればいいと考えるようになり、自分に余裕が出来たように感じます

まだまだ、空気を読んでしまう行動は40年以上してきてしまっているので、クセは抜けませんが、それでも行動しないのは進歩です

自分にとってやらなくていい、無理しないことはしないをするだけでも少し自由になった気がします

これは仕事においても一緒で、私は副業をしていますが、そちらに専念しつつ、本業もやっています

自分の事業の方を優先させて、本業は適当にやっていこうと考えています

だって自分の人生なので、自分がやりたい事をしていた方が、ずーーーっと幸せだからです!

自分のために時間と気持ちを注ぐ

自分のために時間と気持ちを注ぐ

空気を読んで幸せになることはあまりないと気づいたので、自分の気持ちに正直に生きる事にしました

会社の飲み会も基本断りますし、本業も無理をして社益に貢献することも基本しません

他人のために行動することも基本しませんし、自分らしく、自分のことを考えて生きていきます

なぜなら、自分の人生であり、自分の時間は有限だからです

40代になると人生は折り返しと感じます

その時感じたのは、どうしてもっと自分の時間を大切にしてこなかったのか?という事です

空気を読んで、自分の時間を犠牲にしてきてしまった反省があります

せっかく生まれてきた人生をずっと棒に振ってきたと考えるともったいなくて仕方がない

ちゃんと自分がやってみたい事、あってみたい人、手に入れたいものにフォーカスして生きる事が大切です

だから空気は読まなくていいし、自分の時間と気持ちを大切にしてもらいたいと思います

恐らく空気をずっと読んで生きてきて、死ぬ前に後悔するのは

「もっと自分のために時間を使えば良かった」

「やりたい事をすればよかった」

「行きたいところに時間を使っていけばよかった」

だと思います

空気なんて読まず、やりたい事、自分のために気持ちと時間を注ぎましょう

そして自分が幸せな状態であれば、その分他人に幸せを分けてあげればいいのかなと感じます

まずは自分中心に生きることが大切だと40年以上生きてきて感じています

まとめ:空気なんて読まないで良い、自分のために生きる

まとめ:空気なんて読まないで良い、自分のために生きる

私自身、40年生きてきて、とても遠回りして生きてきたように感じます

他人のために生きる事は、尊い生き方かもしれませんが、正直自分の幸せにはフォーカス出来ていないように感じます

この人のためになら犠牲にしても良いという人がいるかもしれません

この人の為だったら仕方ないという存在に出会えて、その人と一緒に人生を歩みたいという人であればちゃんと自己犠牲して空気も読んで良いと思います

でも、他人全員に空気を読む行動をするのは40年生きて疲弊することが良く分かりました

これからは、自分に正直に、基本空気を読まず生きていくことにしています

まだ癖は抜けませんが、会社も持ち、ブログも運営し始めているので、他人に時間は使ってられません

今回は以上となります

最後までご覧いただきありがとうございました

だいた(@kyuushokubu

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